アルコール依存症の戒め記録

現在 断酒継続中です。僕の初めての飲酒行動や 経緯 やらかした点等を自分の戒めと思い 覚えているかぎりの事を書いていきたいと思っています。時間のある限り 少しずつにはなりますが・・・! 少しでも共感の出来る方が、いらっしゃれば とても嬉しいですし、お役にたてれば 本望です。こういうアルコール依存性のなりかたもあるんだ!等 少しでも 参考にしていただければありがたいです。

きゅうりのアルコール漬け(Q)一気読み版 途中更新あり

5/6更新 社会人編①

これより、社会人編へ突入します。


と言う訳で 悩みに悩んで(言いたい事は色々とあり

ますがここでは割愛します。)大学を辞める事を決

意した僕!←その当時 大学3年の初夏でした。

と同時に 今まで実家暮らしだった為、親の拗ねか

じりはもう止めようと一人暮らしを画策し始めます。

幸い アル依存だけど 昔から仕事(アルバイト)は真

面目な僕・・・‪w←毎日 二日酔いで酒臭いけど(爆)

その当時やっていた ビリヤードスタッフの仕事の

みに集中し始めます。

その当時 一緒に働いていた先輩スタッフの一人に

相当影響を受けた言葉が・・・

「お前はこの社会(店)で何ができる(お金を生み出す事)んや?」

と聞かれた事でした。

その方は同じビルのカラオケスタッフの先輩で フ

ード担当!1人で全ての料理を作りあげ、店の売り

上げに大貢献していたフリーターの先輩でした。

その当時 僕は 仕事(アルバイト)はしていましたが

あくまで無難に時間給をこなして給与を得る事のみ

しか考えていませんでしたから 何も答える事が出

来ませんでした。

「アルバイトでも それじゃあ お前の存在価値なんかこの社会には何処にもないぞ」

「お前にしか出来ない事!お前にしか出来ない能力を必死になって磨いてみぃ!」

そう指摘された時、カミナリにうたれた位に ズガ

ーン⚡と衝撃が走ったのを覚えています😅

ここでの この言葉こそが その当時 僕が悩みに悩ん

でいた大学問題をどうするのか救ってくれた言葉で

した。←魚屋での修行の日々につながります‪‪w‪w‪w


何だかんだありながら大学最後の時間をビリヤード

スタッフに費やす僕・・・

真剣にビリヤードに打ち込みました。

ビリヤードが上手くなりたい!

上手くなってお客さんとの接客(リピーター)でお金

を生み出したい! と必死に仕事に取り組んでいく

僕・・・

そうこうしている内に 僕を目当てに来て頂けるお

客さん(リピーター)も増えていき、ある時 僕が担当

している時間帯の売り上げを見た 支配人に こう言

われました。

「ここの社員になって一緒に盛り立ててくれないか?」と・・・

正直 僕がやってきた仕事が認められた瞬間だった

ので嬉しかったのですが そこは まだまだ「若ぞー(21歳)」な僕・・・

何で僕がこんな小さなビリヤードスタッフで終わら

なければならないのか?←就職=定年まで!と思ってた(爆)

と 心の中で反発し、曖昧な返事をしている僕がいました・・・
(ビリヤードに生命をかけている方々 大変失礼いたしました。ごめんなさい🙇💦)


月日は流れ、、、

桜の咲く季節になる頃・・・

実家暮らしの為、お金も溜まっています。(とは言

ってもアルバイトなので30万くらい‪w)

「よーし、そろそろだな(決断をする時が来た)」

僕のまわりの友人達が卒業を控えて 浮き足立って

る頃、僕は退学届けを出しに意気揚々と学生課へ酒

臭いまま、提出をしに行きました。←凄く頑張って

る風に書いてはいますが 基本はアル依存なので バ

イト入ってる時間帯以外は ずっと飲んで寝て 飲ん

で寝て!の連続飲酒です。(常に二日酔いでミンティアは手放せません)(爆)


大学を辞めて 僕は心機一転

頑張っていたビリヤードスタッフも辞め、裸一貫で

一人暮らしを始めるのでした。←とは言っても高校

大学と一緒だった親友(当時アル依存ではないが酒

好き)と家賃 生活費折半で大学近くの賃貸ビル

3LDK に住み始めます‪w

何故 大学近くを一人暮らし場所に選んだのかって・・・

(*ˊ艸ˋ)♬*💗ぷぷぷっ

当時の彼女(現在の妻)の学年が二つ下だったからですよー‪w

サークルの先輩から 学生時代に付き合っている 学

年の違うカップルの大半は 社会人と学生との時間

等のすれ違いで 必ず別れる・・・! と言う 話を耳タ

コで聞いていたから・・・😂😂😂

少女漫画的に言えば 「NANA」で遠距離恋愛をし始

めた 学年の違う主人公ハチとその彼氏・・・ みたいな感じですよね‪・・・w

必ず どちらかの浮気で別れます‪w🤣🤣🤣

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5/7更新 社会人編②


裸一貫 何もない所から(無職 貯金無し)

僕の一人暮らし(親友と)は始まります、、、←何とかなるっしょ精神(爆)

ここで問題が一つ・・・ お酒です😂😂😂

僕はアルバイト(ビリヤードスタッフ)を真剣に頑張りました。

頑張ったからこその それを失った時の反動が酷いんです・・・😱😱😱

一人暮らしなので すぐにでもお金がいるはずなのに・・・

働こうという気力が湧かないんです・・・
(働かなきゃマズいと言う気持ちはある)

となると 僕はアル依存・・・

お察しの通り、連続飲酒に突入します。

その頃は 昼間も飲んでる連続飲酒を特に罪悪感もなくやっていました。

だって 僕は 休みで何もする事がないのだから・・・

だから・・・飲んでも良いんだ・・・

一人暮らしが始まった最初の頃・・・

あれだけ一生懸命やっていた部屋の掃除

も 飲んだくれて 全くやらなくなりました。

外に出る事もお腹がどうしても空いた時

に買いに行く弁当と酒 たばこ 以外全く

買わなくなります。
(本人は節約しているつもり‪w)

僕は休みだから飲む・・・

飲むと泥酔して寝る・・・

こんな調子で約1ヶ月が経過・・・

最初は一緒に楽しく飲んでいた 同居人(親友)もかなり不安になったのか

「そろそろバイト(仕事)したら?」

「俺のやってる深夜のコンビニのバイト紹介しようか?」

と言ってきました。

なんでこの僕が深夜コンビニのバイトな

んか今更しなきゃいけないんだ💢
←何故か上から‪w

僕は手に職をつけて正社員を目指さなきゃいけないのに・・・💦

と 思いの丈を同居人にぶつけました。

すると、同居人が言いました。

「でもバイト(仕事)しないと・・・

生活費の半分払えるの?

俺も余裕なんてないし・・・」

正論を言われて何も言い返せない僕・・・

「・・・・・・・・・暗い沈黙・・・・・・・・・」

僕は言いました。

「解ったよ 僕が仕事を見つける間のつ

なぎとしてコンビニバイトでお金を稼い

でくるよ。紹介お願い🙏」

・・・と言う事で コンビニの面接を受ける

事となりましたが・・・

結果・・・ 不採用😱😱😱

当たり前ですよね!

いくら紹介だからと言っても、仕事が決

まったら辞める事前提の 信用のない無職

の男なんて 雇う経営者なんかいる訳があ

りません!

しかも、場所は大学近くのコンビニです!

暇を持て余したお金が欲しい学生がわんさかいます。

その時の僕は、落とされた理由も解らず

悔しさとショックで打ちひしがれ ヤケ酒です。

←今までバイトの面接で落とされた事な

んて経験がない(正直 社会を舐めてました‪w)

そこで 初めて 信用という部分で

「僕は今まで〇大生と言う肩書きに護られていたんだなぁ 」

と心の底から痛感しました😭

心を入れ替えた(?)僕は 次の日から懸命

に 働き場所を探し始めます。

中々 自分が望んでいるような仕事がみつ

からない中、買い物中 ふと 目に飛び込

んで来たのが リニューアルオープンの

為、従業員大募集の壁紙!

当時 大手スーパーのダ〇エーの従業員募

集の壁紙でした。

「商品陳列 」「レジチェッカー 」

「インテリア」「 デリカデッセン」

「青果」「 ミート」「 鮮魚 」

と色々と仕事の募集がある中で一番僕の

目をひいたのが・・・

「鮮魚」でした。

ここなら 技術を学べて一生食べていける

んじゃないか?

そう思い、電話で面接の日時を確認し

後日 担当者から面接をして頂ける事と

なりました。

面接当日・・・ ←酒は前日控えめにした

為、二日酔い(酒臭く)ではない‪w‪w‪w

担当者(マネージャー)は凄く熱く大工の

親方みたいな感じの方で、

「キツい仕事ではあるが技術は一生モノ

や 絶対に役にはたつで!モノにしたるけ

俺にまかせとき🔥」←こういう 熱い勧

誘に僕は本当に弱いです🤣🤣🤣

「是非 こちらこそ よろしくお願いします🙇✨」

僕はそう答え、その場で即断即決即答しました☺️✨


鮮魚部で働き出す事 約3ヶ月・・・

任された部門の仕事(最初はお寿司製造

担当)も粗方覚え、(基本お寿司製造方法、ネタ切り等)

まわりのパートのお姉様(?)達にも少し

づつ信用を得れる様になってきた頃、

ダ〇エー九州の鮮魚部を統括している

SV(スーパーバイザー)なる方が売り場へ

現れ、突然 バックヤードに呼び出されて

「君、若いね☺️ 正社員にしたるから頑張ってな🔥」

と 僕へ言ってきました。

僕は本当に突然の事で(超嬉しくて)

凄く困惑しましたが もしそれが本当な

ら まだまだ頑張れるし、親も彼女(現妻)

も安心するし・・・(*´д`*)ドキドキ✨✨

だって その当時は大学新卒でも中々内定

を取るのも難しい(イメージ)

天下のダ〇エーの正社員様ですよー🤣🤣🤣

大学中退の この僕がいきなり正社員様へ

なれるなんてぇぇぇーーーー!

( >A<)マジカヨヨヨ!!!✨✨

って なりますよね(笑)

浮き足立った感じで 急いで家に帰り、

焼酎飲みながら(ここがアル依存ポイント‪w)← 早く家に帰って飲みたい‪w(爆)

その喜びを彼女に報告すると 凄く喜んで

くれた事を覚えています☺️👍✨


が・・・

しかーし・・・💦


人生って そう上手くはいかないんですよねぇーー😱😱😱💦

その2週間後に酒の飲み過ぎと栄養失調

で重症急性膵炎になり、

即入院😱😱😱

生死を彷徨う事となるんです・・・😭😭😭


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5/8更新 入院編①


ダ〇エー正社員の口約束を九州鮮魚SVに貰った僕・・・

(敢えて先に口約束と言っておきますw)

それからというもの 今までになく真剣

に仕事に取り組みます。(区分はパート従業員)

パートタイマーと言えども 週5日勤務、

働く契約時間は11:00~20:00 休憩1時間

の実質8時間労働です。

大体 ラストの21:00までの閉め作業まで

やっていた為、一日9時間勤務。

ダ〇エーの厚生年金基金(保険)にも加入

していました。

この頃は よくあったんですよー💦

こんな働き方・・・(現在もあるかも・・・)

不況(就職氷河期)なので何とか人件費を

抑えようとして、正社員を登用せずに

フリーターを積極的に現場へ入れて

時間給のみ支給! ボーナス無し!

の契約で若者を正社員の如く長時間

働かせる企業が沢山・・・

何か問題があれば すぐ解雇

(契約更新なし)出来る様に・・・

派遣切りの先駆けですね・・・

当時のダ〇エーには本当にお世話になったので、

あまり悪くは言わないですが...‪w

←てか、僕自身は感謝してますし・・・

あ、同じ様な境遇のパートタイマーさん

(当時29歳男性の方)が同じ鮮魚部にもう

1人いましたよ‪・・・w

話を戻します。

正社員の約束を貰った 約2週間後の午前
中の事でした。

「いたたたたたぁぁぁぁーーーー💦」

二日酔いで頭が ボーっとする中

胃の辺りへ激痛が襲い 飛び起き、お腹を

押さえうずくまる僕・・・💦

いつも普段は、お酒で肝臓と腎臓の辺り

がシクシクと痛むのと胃痛は常にありま

したが この痛みは別格でした😭😭😭

普段 胃薬は胃痛を抑える為にバッグの中

に常備(毎日服用)していた為、

胃薬を飲もうと 這いずりながら

蛇口をひねり 水と胃薬を一気に

飲み干すと更に激痛が・・・

「いってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ

ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ💦」

すぐ トイレになだれ込み、胃の中の物

(胃薬と水)を吐き出し、

トイレにへたりこんでしまいました。

その時間 同居人は朝から大学の授業

(留年中)に出ている為、すでに誰もいま

せん!

「ヤバいな これ・・・仕事に行けない・・・」

←その時は仕事に行こうとしてます。

お腹の激痛で全く動けない僕・・・

何を思ったのか、その時考えついた名案(?)が一つ・・・

「焼酎(酒)を飲めば 身体が麻痺して、

この激痛が治まるんじゃね?」

でした。

這いずりながら 懸命に自分の部屋へ戻

り、常備している

「大五郎5ℓ焼酎ペット」

をラッパ飲みし、一気に ゴクッ ゴクッ

っと100㎖位(推定) 胃に流し込んだ刹那・・・

胃の中に何千度にもなる真っ赤に熱せら

れた溶岩が口から胃の中へ入って来て

胃に大きく穴を空け溶かすが如く大激痛

が・・・・・・・・絶句😱😱😱😱😱


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ💦💦💦💦💦」


大悶絶・・・・・・・・・・・・‪💦💦💦💦💦


気を失いそうになりながら 生命の危険

を感じ取り、その場で全て リバース・・・

_| ̄|○、;'.・ オェェェェェ←惨劇です‪w‪w‪w‪

僕は遠のく意識の中 考えました・・・

「これは 仕事を休みにするか、救急車

を呼ぶか どちらか選ばなきゃ・・・💦」

←基本 その当時、仕事を休むと言う選

択肢は僕にはありませんw


僕の選択は・・・


あまりの大激痛に・・・


「救急車を呼ぶ」でした・・・


這いずりながら携帯を探し出し、119番

へ緊急通報・・・

状況を伝え、動けない旨を伝えると救急

車を向かわせるとの事・・・

どれくらいの時間が経過したのか・・・

気がつくと 「ピーポー ピーポー」と

聞き慣れたサイレンが聞こえ ピタッと

止まりました。

僕はあまり迷惑をかけたくない思いがあ

り必死に這いずって 玄関を開け、

エレベーターへ乗り込もうとすると

救急隊員の方が 現れて 話しかけられま

した。

「君か?救急車を呼んだのは?」

僕は 息も絶え絶え

「はい、そうです。」と答えました。

すると、救急隊員は

「君、動けるのか・・・?」

「救急車は動けない重症者の為の車だ!

必要以上に呼んでもらったら困る!」

と 厳しく注意を受けました💦

「すみません!とにかく激痛で・・・」

「病院へ運んで頂きたいんです。」

と、意思を伝えると そのまま

タンカで運ばれ 救急車へ乗せられました。

病院へ搬送中 救急車の中で・・・

「住所は?」 ・・・・・・です。

「 氏名は?」 ・・・・・・です。

「 電話番号は? 」・・・・・・です。

「緊急連絡先は?」・・・・・・です。

「 学生か?」

と最後に聞かれたので、首を横に振り

「近くのダ〇エーの鮮魚部で働いていま

す。」と答えた所、

「正社員か?」

との問いに

「パートで働いています。」と答えると

すかさず

「無職だな!」

と救急隊員に断言され、、、、、

僕は おもいっきりカチンと来て、、、、

「俺は無職ぢゃねぇぇぇぇぇぇぇぇ

毎日きちんと8時間働いてるし、

厚生年金もきちんと半分支払っとるわぁ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

このボケがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

と反論したかったのですが 、

そんな余力は残されておらず・・・

「ああ、僕の働き方って 無職って言われ

る働き方なのか・・・😭😭😭」

と言う現実に直面して、ショックで何も

言えませんでした_| ̄|○ il||li💧

その当時は ニートと言う言葉もなく、

フリーアルバイター(フリーター)

の事を無職と呼ばれ、

フリーター=ニート(無職)

が同意語になっている風潮がありました。

僕達 就職氷河期世代が正社員にこだわっ

ていた理由の一つでもありますよね😅

今では 随分その頃とは世間の認識の

仕方が大分 変わってきたのではないでしょうか😅

てか、逆に売り手市場で超(´-ω-`)ウラヤマ~‪w(爆)


あ、話がそれましたので 戻します‪w


その後、受け入れの病院が中々決まらな

かったのですが、救急隊員が必死で探し

てくれたおかげもあり、無事に

〇〇胃腸消化器科内科医院へ搬送されました。

すぐに 問診と血液検査 胃カメラ

飲み、搬送された時の経緯を説明すると

一言・・・

「良くこんな状態で歩けたよね? 若い

からかな?」

と言われ、

(((;°▽°))ハハハと苦笑いをするしかありませ

んでした。

後に重症急性膵炎(重症とは診断名に

は無かったかも‪w)と診断されるのですが

(この時 直接 僕は病名も説明も受けていません!)

病状が重症と判断され、

即入院!となりました・・・。


病室で一人 点滴につながれ、

ぼーーー っと白い天井を見上げると

見た事もないアニメキャラクター

(タヌキみたいな 犬みたいな奴)が走って

いる光景がずっと見えていて、

何かを話しているが聞き取れない‪w💦

僕の様子を確認しに来た 綺麗な看護師

のお姉さんに、

「この天井って 映画館みたいで 凄いで

すね!アニメが観れるみたいですけど

映りが凄く悪いんですよねー💧

音も小さいし・・・💧」

と話すと

「え、、、 怖いんだけど・・・😱😱😱」

と言われ、ドン引きされました(爆)

いわゆる 酒の離脱で幻覚症状が出てた

みたいです‪w

←本当に見えますからね‪ これw‪w‪w


その日の夕方 病院から連絡を受けた

鮮魚部のマネージャーと僕の親が見舞い

に来てくれて、マネージャーは見舞いの

品(果汁100%ジュースの詰め合わせ)と

←後でとんでもない事を引き起こします‪w
「今後の仕事の事は気にせず しっかり

と養生して、出社出来るようになったら

連絡をくれ!病気になんか負けんじゃね

ーぞ🔥」

と熱い言葉を頂きました😭😭😭🙏✨

親の方は先生から病状の説明を受け、

戻って来た時には 少し泣いてる様に感じ

ました・・・。

∑(Ò⌓ Ólll)マジか…。

←事の重大さをまだ知らない‪w

僕は点滴の針で24時間つながれ、一時は

ずっとこのままで 絶飲食!

(食べ物も飲み物も摂っては駄目)

を告げられました・・・。


点滴をずっとしていると 水分が身体の中

に溜まり、すぐにトイレへ行きたくなります。

点滴の針が付いている事と おそらく痛く

てベッドから動けないだろう!

と言う医師の判断で 僕のベッドには

「尿瓶」と「おまる」が置いてありました。

トイレが終わったら ナースコールして下さいね💗

と綺麗な看護師さんに言われていたので

すが 僕は当時 年頃の男子(22歳)です。

←今でもヤダ(爆)

流石に 冗談じゃない!と言う事で

痛いのを我慢し、根性でトイレへ点滴を

引きずりながら 用を足しに行っていまし

たが 点滴をずっとしていると お腹が緩むんです😂😂😂

常時 基本は動けないので ベッドで寝た

り 起きたりを繰り返すのですが、

寝て起きた時には必ず お尻から

♪ヽ(゚∀゚)ノゲリピがベッドのシーツに

付いているんです。患者服にも・・・

これが 白いシーツと白い患者服なので

茶色の♪ヽ(゚∀゚)ノゲリピが映える 映える(爆)

昼、夜は布団で隠れてるのでバレないん

ですが、朝には必ず シーツ交換を

綺麗な看護師さんが 行なうんです。

バッと 布団を開いた時に

♪ヽ(゚∀゚)ノゲリピが・・・ シーツにベットリ・・・

綺麗な看護師さんは仕事上 黙々とシーツ

を替えて 何も言いませんが ナース室に

戻った時に同僚に笑いながら話をする

ネタの内容が明らかに想像出来ます。
_| ̄|○ il||li💧

オワタ\(˙◁˙)/(爆)

恥ずかしさに耐えながら 毎日を過ごす

事になりますが、

しかしながら この入院で 一番辛いのが

「絶飲食」なんです。

栄養状態と水分の量は点滴で全く問題は

ないのですが、脳は常に強烈な空腹と

強烈な喉の乾きを信号として僕の

感覚神経(?)へ送り出します😱😱😱

2~3日は気合いで何とか耐えてきました

がここで 強烈な悪魔の囁きが・・・💦

そう・・・

あの鮮魚部マネージャーから

お見舞い品として頂いた

「果汁100%ジュース詰め合わせセット」

これが僕の荷物置きの奥に入っているんです・・・

そして、その悪魔が 僕の内蔵へと

マイク・タイソンの殺人パンチの如く

ボディブローとして襲いかかるのでした・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5/11 更新 入院編②


入院時に医院長から 一時絶飲食を言い

渡されたのですが、

看護師さんに 一時(いっとき)とは

どのくらいの期間になるのかを

たずねても 教えてはくれず 笑って

はぐらかされます😂😂😂

最初から僕の病気の状態(内蔵の状況)

を知らされていれば、ある程度は覚悟も

出来たのでしょうが、全く知らされていない為、

普段は本当に素直な僕も 2~3日も絶飲食

を続けると 強烈な空腹と強烈な喉の渇きにより、

イライラと不信感が溜まってきます。

「ぅぅぅ、、お腹すいたなぁ」

←喉の渇きより 空腹感の方が辛い😭😭😭

痛みで ろくに動けないし、どうしたものか・・・

←トイレに行く時は本当に激痛に耐えな

がら意地で行ってます😭😭😭

睡眠時に♪ヽ(゚∀゚)ノゲリピは漏らしてま
すが・・・(爆)


「あ、そうだ そう言えばマネージャー

からの見舞いの品があったっけ

(≖ᴗ≖๑)ニヒッ💗✨」

ゴソゴソと荷物置きの中を確認する僕・・・

「おお、ジュースだ😍」

この時、中身を初めて確認した僕・・・

強烈な空腹感と喉の渇きがある為、

何も考えずに飲む事を決意!

←救急搬送時、水を飲んだだけでどうなったかも既に忘れてる‪w

「ちょっとだけなら・・・」

プシュッ・・・

←果汁100%のオレンジジュース

「うん、美味しそう💗」

恐る恐る一口・・・

ゴクッ・・・

「うまーーーいっ💗」

その時 多少 痛みはありましたが

我慢出来ない程ではありません!

ゴクッ ゴクッ ゴクッ ゴクッ・・・

一缶全て 飲み干してしまいました。

「ふうっ💗 美味しかったぁぁぁ」

とりあえず 満足した僕は、

そのまま 横になって休もうとした

その瞬間 また あの激痛が襲ってきました・・・


「いたたたたたたたたーーーーー💦」


と 同時に吐き気も もよおし

激痛に耐えながら ゆっくりとトイレへGo💦

←点滴を引きずりながら‪・・・

トイレの和便器へ到着するなり

_| ̄|○、;'.・ オェェェェェ 💦💦💦💦


( >д<)、;'.・ ゲホッ ゲホッ💦


_| ̄|○、;'.・ オェェェェェ💦💦💦


全部 吐き切った(イメージ)為、

よろけながら 病室へ戻る僕・・・

何事も無かったかの様に振る舞いたかっ

たのですが 激痛が治まりません!

たまらず ナースコールを押しました・・・

「どうかされましたか?」

いつもの 綺麗な看護師さんに聞かれます。

「ちょっと お腹が痛くて・・・」

息も絶え絶え そう伝えると・・・

「医院長を呼んで来ますね・・・」

そう言い、走って医院長のもとへ向かって行きました。

処置室へ運ばれる僕・・・

お腹の状態を触診で調べられると同時に

血液検査の為、血も抜かれました。

血液検査と触診の結果を見た医院長は・・・


絶句・・・


「何故 こんな事になってるんだ・・・」

「もう、ここ(当医院)では対応出来ない

かもしれない・・・」

←本当にこう言ってました😱😱😱

驚愕している医院長を知り目に

僕は こっそり 果汁100%オレンジジュー

スを飲みました!

とは言えず ・・・


黙り(だんまり)・・・


「緊急手術だ! すぐ用意してくれ・・・」

とその場にいた 看護師さん達に指示を出し、

僕は手術室へ運ばれて行きました。


手術台に運ばれた僕は患者服とパンツを

脱がされ手術服(?) を着せられました。

そして、先生から手術の説明をされました。

とりあえずその時 理解出来たのは

手術をこの場でしなければ生死にかか

わる・・・という事でした。

そして、先生と綺麗な看護師さん達は

手術の準備にとりかかります。

僕は局部麻酔を受け、

少し時間をおいた後、

お腹辺りの感覚がなくなりました。

そして 綺麗な看護師さんが言いました。

「それでは 下のお毛毛を剃りますね」

「えっ💦」

僕はいきなりの事で驚き、

下半身の方を見ると 患部はカーテンで

仕切られていて 見えなかったのですが

綺麗な看護師さんが僕のあそこを・・・‪w

僕は この後に及んで 恥ずかしさで

┣¨キ(*゚ ゚*)┣¨キ💗←バカ(爆)

だって その当時の僕は 病気で入院中と

はいえ 血気盛んな22歳の若造男子です🔥

何も考えずとも 少しでも触れられれば・・・‪w‪w‪w


「や、ヤバいっ・・・‪w‪w‪w」


「ちょっ‪w‪w‪w💦」


ムクムクッ ∠( ˙-˙ )/ ピンッ💗(爆)


や、やっちゃいましたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ💦


恥ずかしさのあまり、顔から火が出そう

でした😭😭😭💦💦💦

彼女達はプロの仕事人なのか、何も動じません・・・!

そのまま 僕の下の毛の処理にかかります・・・

ただ その様子を見た 医院長先生は・・・

・・・・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・ 爆笑🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣


そして、一言・・・

「まだ 若いなぁぁ 良いなぁぁ」


「良いなぁぁ」ぢゃねーよ\(= д =;)ベシ!

と僕は心の中でツッコミを入れながら・・・

後は まな板の鯉の如く、なすがまま

されるがまま 手術は進みます。

先生は手術の途中・・・

「よし、出てきた 出てきた(お腹の中に溜まった膿)」

と言い、どれくらいの時間が経過したで

しょうか、、、

気づいたら手術は終わっていました。


後ほど聞いた話ですが 緊急搬送時

僕の膵臓は 酒のダメージで 腫れ上がり、
パンパンに膨れていたとの事!

何かの拍子(果汁100%ジュースを飲んだ)

でその膵臓が破れ、

お腹の中に膵液(たんぱく質を強力に溶

かす液)が流れだし、

お腹の中の他の内蔵やたんぱく壁を

強力に溶かしている状態になっており、

その溶かされた物が膿(嚢胞)となって

お腹に徐々に溜まっていく危険な状態な

為、手術(膵液や膿を出す事)をしなけれ

ば他の臓器や器官を溶かし、

生死にかかわる重大な障害を引き起こす

恐れがあった!との事でした。

膵臓が破れているので、

ある程度治らなければ 膵液はどんどん流

れ出し お腹の中に溜まり続ける為、

お腹に管を通し そのまま取り付けたまま

出てきた膵液と膿(嚢胞)を排出させ続け

なければならないので

お腹に穴を開けたままの状態で絶対安静

となります。

今後は何かあった時は 当医院の

医療体制では対応しかねる為、

ちゃんと医療体制が調った

大きな病院への転院が必要との事でした・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5/13 更新


そして、○○胃腸器科内科医院から

紹介された 少し離れた街の比較的大き

な病院 ○光病院へ転院する事となりました。

少しだけ余談なのですが、僕が今回の

重症膵炎が完治した後、風邪で

発熱した際、 最初に搬送された

○○胃腸器科内科医院へ受診したら
(ここしか 病院が思いつかなかった)

あの美人な看護師さん達は

奥の部屋の陰で (*^艸^)クスクスw っと

皆で笑っているのを目撃しました・・・💦💦💦

おそらく 僕の入院時の事・・・

部屋で怪しいアニメ幻覚・・・‪w

シーツ替え♪ヽ(゚∀゚)ノゲリピ ベットリ‪w

剃毛∠( ˙-˙ )/ ピンッ💗‪w

の事を思い出して ほくそ笑んでいた

と思います٩(⌯꒦ິ̆ᵔ꒦ິ)۶ᵒᵐᵍᵎᵎᵎ💦

くそーーーっ もう二度と行くかーー!

(恥ずかし過ぎて二度と行けない😂😂😂)

と心の底から自覚しました‪w

(だだの被害妄想かもしれません‪がw)

←感謝はしてますからね🙏✨✨

その節は本当にお世話になりました

(^人^)感謝♪💗✨


という事で○光病院へ転院となった

僕なのですが 流石に激痛に懲りて、

お見舞いに来て頂いた、知り合いや、

ダ○エー鮮魚部のお姉様(?)方の

差し入れの 飲み物や食べ物・・・ を

断腸の思い・・・ もとい、断膵の思い(笑)

で 飲み食いを我慢したのを強烈に覚えています😂😂😂

(おも湯、お粥療養に入ってすぐに 美味しく頂きました🙏)

転院先の○光病院では 24時間点滴治療

は変わらず 共同部屋ではありましたが、

特に問題なく(?)過ごせたのではないか

と思います。

(基本寝るかTVを観るか)

僕の治療は基本 絶飲食は変わらず、

24時間点滴を身体に流される治療法

になるのですが、入院の間はずっと

でしたので、1回1回 針を刺し直すと

腕に負担がかかる為、身体の右胸から

右肩の間に点滴の取り替え可能な

打ち込み式(?)の針をずっと取り付けた

ままの方法で点滴を流されていました。

多分 点滴を一日中 受けた事のある方は

気持ちが解ると思うのですが

一日に流す量と言うのは決まっていて、

流す量(液袋から落とす時間)は

看護師さんによってきちんと計算され、

調整されています。

しかし、早く点滴を終わらせたい僕は

その流す量を勝手に自分で調整し、

早めに液を流すようにして

(時には3倍以上の早さのイメージ)

看護師さんに良く怒られていたのを

覚えています。

その節は本当にすみませんでした🙏💦

その当時の治療・・・!

絶対安静!

絶飲食!

で、 しかも

全く動けない=たばこも吸いにいけない!

は本当に過酷で辛く、強烈な空腹と

喉の渇きに耐えながら 更に 時間(暇)との

闘いになりました。

夜中に1人でベットの上で仰向けになり

ながら ボーッと白い天井を眺めていると、

「何やってんだろ・・・?
僕は・・・ こんな所で・・・😭😭😭」

と 自分ではどうする事も出来ない

歯がゆさと悔しさで 目から大粒の涙が

こぼれ落ち、泣いていたのを強烈に覚えています。

しかし、これを書くと これを読んでいる

皆様に また惚気か?

と思われるかもしれませんが、

そんな超絶辛い時に僕の生命の炎🔥

(やる気の炎)を再燃させてくれたのが

当時の彼女(現在の妻)の存在でした・・・。

彼女は大学の授業やサークルが終わると

すぐにバスに乗って(1時間半)

遠く離れた この病院まで、毎日通って

消灯時間までずっと一緒にいてくれまし

た・・・😭😭😭

その時に話をした 学校での話、

サークルでの話、たわいのない冗談めいた話

が その時 過酷な状況に追い込まれて

いた僕を救ってくれたと言うのは 間違いありません!

本人は忘れているかもしれませんが

その時に話をした 僕の仕事の事や

僕達の将来の事がのちに

「結婚」

という運命の巡り合わせを決意する

僕の1つの結果に繋がる大切な時間!

になったと 僕は当時の事を振り返ってみ

て そう強く感じています。

この場をかりて言わせて下さい。

本当にあの時は(も?)ありがとうござい

ました🙇💦


あ、聞きたくもない 乱筆乱文・・・
失礼いたしました🤣🤣🤣(爆)


そうこうしている内に僕の身体は

驚異的な回復力をみせ 回復していき、

担当の先生も本当に驚いていました。

後に親と姉弟(きょうだい)に聞いた話

なのですが 転院した際 当時の担当医に言われた事は

「最善を尽くしますが、最悪 死を覚悟しておいて下さい!」

とハッキリと言われていたそうです。

どうりで 親、弟妹が見舞いに来た際に

弟が半泣きしていた

(こんな時、女は強いですね!妹は普通

に僕を励ましてくれてました。)

訳ですね😅😅😅

因みにその入院にかかった費用は

高額な薬を点滴に使っていた為、

(それを使っていなければ死んでいた!と

担当医に説明を受けていました。)

入院費総額○百万円との事でした。

高額医療保険(?)は適用されましたが

たかだか ついこの間、

社会に出たばかりの 大学中退野郎が

払える金額ではありません!

偉そうな事・・・

(僕はもう一人で生きて行ける・・・

もう、僕に干渉しないでくれ!等)

を言って 親に反発し、

家を飛び出た形になっていましたが

その時は 本当に 家族(親)に

生かされているんだな!と言う

深い感謝の気持ちと 親の存在を

軽んじていた僕に大反省の気持ちが

心の底から芽生えた事は言うまでも

ありません!


その後・・・


まだ少し痛みはありますが 、

普通に 食事が出来る様になって来た為、

担当医に 早く社会復帰をしたいと言う

強い想いと、ずっと 病院にいたら

精神的にもおかしくなりそうだ!

と言う強い意向を伝え、

まだ 完治していない重症急性膵炎を

抱えたまま、無理を言って 病院をあとに

するのでした・・・


...................................................................................

2021 4/25更新

皆様 お久しぶりです!

僕のブログ更新を待っていた方っているのでしょうか?

今回はダ〇エー鮮魚 奮闘編を書こうと思います。


正直 個人的には奮闘していたのですが…

今から考えると そこまで頑張っていなかったのかなー なんて思っちゃいますw

無理矢理 病院を出てからのお話し…

膵臓が破れたので ずっと痛かったんです😭😭😭

でも、その当時は酒(焼酎)が麻酔みたいな感じ…

病院出てからは 酒飲んでも激痛が走らないから…

普通に毎日飲みますよねw

そこは何も毎日変わらないです!

ダ〇エー鮮魚部に戻ってみて 最初に思った事…

僕をダ〇エーの正社員様にしてくれると言っていたSVが…

いなくなってた💦

あの熱く僕を鮮魚部に誘ってくれてた マネージャーも…

いなくなってた💦

その重大な意味に気づかないまま

僕は魚業界に真剣に取り組んでいくんです…

毎日 毎日 魚を捌いて お寿司のネタを切っていく日々…

魚捌き技術はお陰様で そこで そこそこ身につけました。

でも、所詮は時給の身なんですよね

朝から晩まで仕事しても月に手取りでは16万位にしかならないんです💦

2年位…
そのまま 頑張ったんですが…
一度逃した正社員のチャンス…

二度と来るわけありませんよね!

最初は魚技術を身につけて 自立(お金稼ぎたい)をしたいって頑張っていた僕も…

お金ないし…

正社員になれない僕に…

大学を卒業して 就職活動をめっちゃ頑張って(僕らの世代は就職氷河期) 就職を決めた 当時の彼女(現妻)に言われた事!

「あなたの考えが解らない!このままアルバイト擬きを続けるの?」

僕は真剣に毎日仕事してたし…

アルバイト擬きって思われてる事にショックをうけました💦←お金稼げてないからしょうがない…💦

この一言で正社員にならなきゃ絶対駄目だと言う思いにかられ…

魚業界に終止符を打ちました!



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