アルコール依存症の戒め記録

現在 断酒継続中です。僕の初めての飲酒行動や 経緯 やらかした点等を自分の戒めと思い 覚えているかぎりの事を書いていきたいと思っています。時間のある限り 少しずつにはなりますが・・・! 少しでも共感の出来る方が、いらっしゃれば とても嬉しいですし、お役にたてれば 本望です。こういうアルコール依存性のなりかたもあるんだ!等 少しでも 参考にしていただければありがたいです。

きゅうりのアルコール漬け 入院編③

5/13 更新


そして、○○胃腸器科内科医院から

紹介された 少し離れた街の比較的大き

な病院 ○光病院へ転院する事となりました。

少しだけ余談なのですが、僕が今回の

重症膵炎が完治した後、風邪で

発熱した際、 最初に搬送された

○○胃腸器科内科医院へ受診したら
(ここしか 病院が思いつかなかった)

あの美人な看護師さん達は

奥の部屋の陰で (*^艸^)クスクスw っと

皆で笑っているのを目撃しました・・・💦💦💦

おそらく 僕の入院時の事・・・

部屋で怪しいアニメ幻覚・・・‪w

シーツ替え♪ヽ(゚∀゚)ノゲリピ ベットリ‪w

剃毛∠( ˙-˙ )/ ピンッ💗‪w

の事を思い出して ほくそ笑んでいた

と思います٩(⌯꒦ິ̆ᵔ꒦ິ)۶ᵒᵐᵍᵎᵎᵎ💦

くそーーーっ もう二度と行くかーー!

(恥ずかし過ぎて二度と行けない😂😂😂)

と心の底から自覚しました‪w

(だだの被害妄想かもしれません‪がw)

←感謝はしてますからね🙏✨✨

その節は本当にお世話になりました

(^人^)感謝♪💗✨


という事で○光病院へ転院となった

僕なのですが 流石に激痛に懲りて、

お見舞いに来て頂いた、知り合いや、

ダ○エー鮮魚部のお姉様(?)方の

差し入れの 飲み物や食べ物・・・ を

断腸の思い・・・ もとい、断膵の思い(笑)

で 飲み食いを我慢したのを強烈に覚えています😂😂😂

(おも湯、お粥療養に入ってすぐに 美味しく頂きました🙏)

転院先の○光病院では 24時間点滴治療

は変わらず 共同部屋ではありましたが、

特に問題なく(?)過ごせたのではないか

と思います。

(基本寝るかTVを観るか)

僕の治療は基本 絶飲食は変わらず、

24時間点滴を身体に流される治療法

になるのですが、入院の間はずっと

でしたので、1回1回 針を刺し直すと

腕に負担がかかる為、身体の右胸から

右肩の間に点滴の取り替え可能な

打ち込み式(?)の針をずっと取り付けた

ままの方法で点滴を流されていました。

多分 点滴を一日中 受けた事のある方は

気持ちが解ると思うのですが

一日に流す量と言うのは決まっていて、

流す量(液袋から落とす時間)は

看護師さんによってきちんと計算され、

調整されています。

しかし、早く点滴を終わらせたい僕は

その流す量を勝手に自分で調整し、

早めに液を流すようにして

(時には3倍以上の早さのイメージ)

看護師さんに良く怒られていたのを

覚えています。

その節は本当にすみませんでした🙏💦

その当時の治療・・・!

絶対安静!

絶飲食!

で、 しかも

全く動けない=たばこも吸いにいけない!

は本当に過酷で辛く、強烈な空腹と

喉の渇きに耐えながら 更に 時間(暇)との

闘いになりました。

夜中に1人でベットの上で仰向けになり

ながら ボーッと白い天井を眺めていると、

「何やってんだろ・・・?
僕は・・・ こんな所で・・・😭😭😭」

と 自分ではどうする事も出来ない

歯がゆさと悔しさで 目から大粒の涙が

こぼれ落ち、泣いていたのを強烈に覚えています。

しかし、これを書くと これを読んでいる

皆様に また惚気か?

と思われるかもしれませんが、

そんな超絶辛い時に僕の生命の炎🔥

(やる気の炎)を再燃させてくれたのが

当時の彼女(現在の妻)の存在でした・・・。

彼女は大学の授業やサークルが終わると

すぐにバスに乗って(1時間半)

遠く離れた この病院まで、毎日通って

消灯時間までずっと一緒にいてくれまし

た・・・😭😭😭

その時に話をした 学校での話、

サークルでの話、たわいのない冗談めいた話

が その時 過酷な状況に追い込まれて

いた僕を救ってくれたと言うのは 間違いありません!

本人は忘れているかもしれませんが

その時に話をした 僕の仕事の事や

僕達の将来の事がのちに

「結婚」

という運命の巡り合わせを決意する

僕の1つの結果に繋がる大切な時間!

になったと 僕は当時の事を振り返ってみ

て そう強く感じています。

この場をかりて言わせて下さい。

本当にあの時は(も?)ありがとうござい

ました🙇💦


あ、聞きたくもない 乱筆乱文・・・
失礼いたしました🤣🤣🤣(爆)


そうこうしている内に僕の身体は

驚異的な回復力をみせ 回復していき、

担当の先生も本当に驚いていました。

後に親と姉弟(きょうだい)に聞いた話

なのですが 転院した際 当時の担当医に言われた事は

「最善を尽くしますが、最悪 死を覚悟しておいて下さい!」

とハッキリと言われていたそうです。

どうりで 親、弟妹が見舞いに来た際に

弟が半泣きしていた

(こんな時、女は強いですね!妹は普通

に僕を励ましてくれてました。)

訳ですね😅😅😅

因みにその入院にかかった費用は

高額な薬を点滴に使っていた為、

(それを使っていなければ死んでいた!と

担当医に説明を受けていました。)

入院費総額○百万円との事でした。

高額医療保険(?)は適用されましたが

たかだか ついこの間、

社会に出たばかりの 大学中退野郎が

払える金額ではありません!

偉そうな事

(僕はもう一人で生きて行ける!
もうこれ以上 干渉しないでくれ!等)

を言って 親に反発し、

家を飛び出た形になっていましたが

その時は 本当に 家族(親)に

生かされているんだな!と言う

深い感謝の気持ちと 親の存在を

軽んじていた僕に大反省の気持ちが

心の底から芽生えた事は言うまでも

ありません!


その後・・・


まだ少し痛みはありますが 、

普通に 食事が出来る様になって来た為、

担当医に 早く社会復帰をしたいと言う

強い想いと、ずっと 病院にいたら

精神的にもおかしくなりそうだ!

と言う強い意向を伝え、

まだ 完治していない重症急性膵炎を

抱えたまま、無理を言って 病院をあとに

するのでした・・・





ダ○エー(魚屋)奮闘編①へ続きます、、、






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